立教189年
2026年5月 第303号
朝一番の風を

会長夫人
神殿の窓を開ける。廊下の窓を開ける。階段を下りてあちらの窓もこちらの窓も全開にする。朝一番のひんやりとした空気が教会の中を走る。肌に感じる風と、東の窓から差し込む太陽の光に一礼。今日一日の生命を頂けた事に感謝して一日が始まる。
こうして、当たり前に迎える朝を当たり前に迎えられなくなる時が誰にでも訪れる。誰もが自分で生きていると思いがちだが、自分で心臓を動かしている訳ではない。手や足や体を動かす事は自分の意思で出来るが、身体自体は神秘に包まれこうして生きている事は沢山の不思議な時間を親神様からプレゼントされているのだとしみじみ思う。
先日、庭の手入れをしている時ちょっとした不注意から右手のひらに傷を負った。五百円大に剥がれてしまった皮膚はヒリヒリと痛く、絆創膏を貼ったくらいでは痛みは止まらなかった。不自由だった。水に触っても痛く力も入らない。痛みは増すばかりだった。が、二日が経ち三日が経ち四日目に入った頃手が軽くなり、昨日までの痛みがなくなった。絆創膏を剥がすと薄い皮膚が出来ていた。もう大丈夫と、ちょっと無理をしたら薄い皮膚が剝がれてしまいまた最初に逆戻りしてしまった。時間がかかってしまったが九日目には元の通り皮膚は厚くなってきて、雑巾をしっかり絞る事が出来るようになった。生命線も頭脳線も元通りになり十一日目にはすっかり全快出来た。手のひらをしみじみ眺めてみた。「すごいなー、私は何もしていないのに皮膚を作る細胞が数日間で元通りの手にしてくれた」しみじみと手のひらを眺めた。
私達は身体の何一つとして自分自身で修理する事は出来ない。休みなく働く何兆個という細胞によって守られ生きている。「生きている」のではなく「生かされている」ことを忘れてはいけないなぁ…と感じ入った。当たり前は当たり前ではない。
なんとなく、心に元気が無いときは早起きをして窓を一杯開け部屋に気持ちの良い風を入れてみよう!そして、少しだけでいい。自分の心以外のものに目を向けてみよう。こんな何でもないひとつひとつの中に、「生きている」から「生かされている」という心に近づいていくような気がします。
しあわせの道しるべ#133
笑われて、
笑われて、
つよくなる。
— 昭和の文豪 太宰治
